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キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

麓から歩いたら1時間。 これは登山。
備中松山城は、高い山の上にあった。
中腹にある駐車場まで車で登った。 そこからでも、20分歩いた。

標高430mの臥牛山(がぎゅうざん)頂上付近に、城はある。
臥牛山にはいくつかの山があって、城は小松山にあるので、松山城となった。
愛媛にも松山城があるため、最後は、備中松山城と。  ※ 備中~びっちゅう

11年5月29日 (37)

土日は、下からシャトルバスが運行しているが、台風のため休み。
それで、上の駐車場まで行けた。

11年5月29日 (1)

風と雨が強い。 傘が裏返しになって、壊れそう。

11年5月29日 (2)

石垣が美しい。 この人達の後、誰にも会わない。

11年5月29日 (3)

天守閣が見えた。 手前の建物は、復元した物。
風と雨が強く、カメラの設定ができないので、写真がうまくいかない。 適当に、パチ。
上の写真の感じで撮りたかった。

11年5月29日 (4)

現存天守の中では一番高いところにある。
  ※ 現存天守でなければ、美濃岩村城は標高 717㍍。

11年5月29日 (5)

三層(三階)に見えるが、左の部分は廊下(他の建物とつながっていた)で、実際は2層。
壁の白と板の黒が美しい。
現存天守の城の中では、一番小さな天守。

11年5月29日 (6)

左にある入り口。 ここがあるので、3層に見える。

11年5月29日 (7)

隅にあった、石落とし。

11年5月29日 (8)

天守の1階に、昔の写真が展示してあった。
昭和に入って、何度か解体修理、また修理が行われた。

下は、解体前。 廃屋の状態。
歴史の証人が、息も絶え絶えに残っていた。 そんな感じ。

当時、こんな状態の城は、全国いたるところにあった。
しかし、保存を考えた町は、ほんの一部。 

11年5月29日 (9)

天守の裏の、二重櫓(にじゅうやぐら)。
この状態でも、使える材料を使って復元したら、それは昔の物になる。
そうでなかったら、ただの復元。 価値は、全く違う。 半分の半分もない。

11年5月29日 (10)

土塀。

11年5月29日 (13)

300年は経っているので、この状態。

11年5月29日 (14)

昭和15年7月。 2万枚の瓦が、女学生によって運ばれた。 背中にしょってる。
この人達は今、80歳を越えている。

11年5月29日 (19)

明治の終わり頃。 本丸、南御門。 

11年5月29日 (36)

1階部分。 この階に、説明や写真があった。

11年5月29日 (11)

この山には、1200年代から、城は作られ始めた。

11年5月29日 (12)

城の城主は変わるが、戦国時代は、三村氏。 西の毛利氏のおかげで城主になれた。
東の小早川氏とは仲が悪く、いつも争っていた。

小さな窓から、鉄砲を撃つ。

11年5月29日 (15)

毛利と小早川が、足利義昭の命を受けて、信長を追討しようとした。
信長は、城主の三村元親に、毛利軍の侵攻を押さえたら、備中と小早川の備前を与えると言った。
元親は、毛利への恩を忘れて、裏切った。

11年5月29日 (16)

毛利軍を迎え撃ったが、勝てるわけがなかった。 
秀吉を中心とした信長軍が、助けに来ると思ったのか。
元親は、戦国の世の何かを、読み間違った。 (本能寺の変まで、あと7年)

1階に、少し高くなって、小さな部屋があった。 装束の間。

11年5月29日 (17)

そこから、1階を見た。

11年5月29日 (18)

2階(最上階)への階段。

11年5月29日 (20)

2階。

11年5月29日 (21)

御社壇。

11年5月29日 (23)

11年5月29日 (22)

広い窓は無い。 窓の格子の隙間から、高梁市街地が見えた。

11年5月29日 (24)

11年5月29日 (25)

11年5月29日 (26)

11年5月29日 (27)

11年5月29日 (28)

解体修理の時のもの。

11年5月29日 (29)

11年5月29日 (30)

削って柱に。

11年5月29日 (31)

11年5月29日 (32)

裏にある、二重櫓。

11年5月29日 (33)

裏から見た、天守。

IMG_0750lkoiju889

二重櫓への道。

11年5月29日 (35)

三村元親と、その子、勝法師丸の辞世の句。
    ※ 辞世の句は、死ぬずっと前に、作ってあるのかな。 直ぐにはできないくらい、質が高いので。

11年5月29日 (38)   11年5月29日 (39)

途中で、高梁市の市街地がよく見えた。

11年5月29日 (40)

この城は、江戸時代の1600年代の終わりに大改修を行い、現在の姿になった。 水谷氏の時代。
水谷家は長くは続かず、断絶する。 
その後、赤穂藩主・浅野長矩が城の受取りにあたり、家老・大石良雄が城番となっている。 2年程の間。

城の位置が高すぎるので、普段の政治は、下の御根小屋というところで行われていた。
今はそこに、高梁高校がある。



【道の駅】   醍醐の里

【明日の予定】  少し北に、変わった温泉があるので、そこに。

 ※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
                                                    (2008年4月~2010年9月までの記事)

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akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、十数回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
明日は、どこの空の下にいるのかな。


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