江戸時代の初めに松江城が完成。
それまでは、富田(とだ)城が山陰地方支配の拠点だった。
・ ・ ・ ・ ・
いつ雨が落ちてきてもいい。
そんな気持ちの時、天気は味方してくれる。
寒いからダウンを着て出発。
城跡を登り始めたら、下より温かかった。
今日はミニ登山。
最後に堀尾吉晴に会えたのが良かった。
小那(こな)姫にも。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
確かに山の上に。 広く城跡。
城跡は道の駅のそばまで。
断崖絶壁があちこちに。 複郭式ってある。 城跡は上と下に分かれている。
山城。 古い城に多いですね。
上がってきた。 右向こうは馬場だった。
右写真は山の上方向。
木のかげに山中鹿介(しかのすけ)の像と、奥に本丸が。
山中鹿介。 富田城は長く尼子(あまご)氏の居城。
尼子氏は毛利氏に滅ぼされる。
山中鹿介は再興を願って戦う。
そういうことで歴史的な人物の中では、人気が高い。
(脚本次第では、大河も可能か)
※ 土方歳三と人気の理由が似ているかな。
下に出た。 建物跡に休憩施設を建てた。
この向こうに、右写真の御殿跡。 山中御殿と呼んでいる。 ※ 殿様は御殿で生活。
ジグザグの道を上って三の丸。 二の丸、本丸と。
途中に親子観音。 左奥に。
最後の城主である堀尾家に関係する人の墓。 お家騒動で処罰された。
鈴鳴らしている人いたけど、クマが出る雰囲気でない。 急な上り。
三の丸に着いた。 上は二の丸。
米子、境港方面。 半島の先は美保関。
美保神社は、えびす社の総本社。 風情のある青石畳通り。 佛谷寺。 山陰最古の美保関灯台。~松江市~ 他 (2018/11/24)
安来市広瀬地区の中心街。 夕方、正面の山を車で越えた。
三の丸・二の丸で本丸を守る。
何度か小雨が降った。 後で、あの雨は小那(こな)姫の涙雨だったなと思った。
悲しい話を知った。
三の丸から二の丸を。
二の丸の右を行くと本丸が見える。
※ 水場が3ヶ所あった。 この近くにも。 ろう城の時水は命。
二の丸に上がった。
反対側を見たら本丸。
本丸跡。 月山(がっさん)頂上。 奥に神社。
二の丸方向。
戻る時は車道を。 駐車場が見える。 右に御殿。
右写真の家で、左に入った。
石段の左上に本堂。 岩倉寺。
堀尾義晴の墓が、右奥にある。
富田(とだ)城、最後の城主。
ここの城主をしながら、松江城の建築。 1611年完成。
※ 数年前、いつ建ったかなど細かなことが分かって国宝に。 彼はいい仕事をした。
※ 墓は、京都妙心寺の境内にある、春光院にも。 こんな説明が。(2015年に撮影)
白い花は十月桜。
近くに山中鹿介の供養塔。 彼のような家来がいたら、と思ったのかな。
本堂の裏に、娘の小那姫の墓。
※ 16歳のとき難病を罹う。
20歳の時、病気を苦に現在の廿原堤(はたちばらつつみ)神社にあった池に入水。 (2㌔程南西)
「わが身、幸せ薄くしてここに果てるとも、願わくば神となり、この病に悩む世の婦人を救わん」
と椿の枝に願をかけたそう。
その椿は花が落ちることもなく実がつき「二十原の椿」と呼ばれる。
「まんが日本昔ばなし」に。
十月桜があちこちに。
二十原の椿。 ※ 追記 病名を調べてみました。
「こしけ」の病。 婦人病。 女性の方は分かると思います。
いろんなことに出会えたです。
【記事紹介】
山陰で唯一残った、松江城 小泉八雲旧居 ~松江市~ 明日、大山へ 他 (2011/6/2)
【道の駅】 湯の川。(出雲市)
【明日の予定】 花を見るか魚を見るかどちらか。
※ 都道府県別のブログタイトル一覧表は、右をクリック。
(放浪の旅Ⅱと放浪の旅Ⅰの両方です。 記事の総数は3700ほど。)
※ プロフィール・・・。 ⇒ 今までの記事には、この2枚だけ。
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それまでは、富田(とだ)城が山陰地方支配の拠点だった。
・ ・ ・ ・ ・
いつ雨が落ちてきてもいい。
そんな気持ちの時、天気は味方してくれる。
寒いからダウンを着て出発。
城跡を登り始めたら、下より温かかった。
今日はミニ登山。
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確かに山の上に。 広く城跡。
城跡は道の駅のそばまで。
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山城。 古い城に多いですね。
上がってきた。 右向こうは馬場だった。
右写真は山の上方向。
木のかげに山中鹿介(しかのすけ)の像と、奥に本丸が。
山中鹿介。 富田城は長く尼子(あまご)氏の居城。
尼子氏は毛利氏に滅ぼされる。
山中鹿介は再興を願って戦う。
そういうことで歴史的な人物の中では、人気が高い。
(脚本次第では、大河も可能か)
※ 土方歳三と人気の理由が似ているかな。
下に出た。 建物跡に休憩施設を建てた。
この向こうに、右写真の御殿跡。 山中御殿と呼んでいる。 ※ 殿様は御殿で生活。
ジグザグの道を上って三の丸。 二の丸、本丸と。
途中に親子観音。 左奥に。
最後の城主である堀尾家に関係する人の墓。 お家騒動で処罰された。
鈴鳴らしている人いたけど、クマが出る雰囲気でない。 急な上り。
三の丸に着いた。 上は二の丸。
米子、境港方面。 半島の先は美保関。
美保神社は、えびす社の総本社。 風情のある青石畳通り。 佛谷寺。 山陰最古の美保関灯台。~松江市~ 他 (2018/11/24)
安来市広瀬地区の中心街。 夕方、正面の山を車で越えた。
三の丸・二の丸で本丸を守る。
何度か小雨が降った。 後で、あの雨は小那(こな)姫の涙雨だったなと思った。
悲しい話を知った。
三の丸から二の丸を。
二の丸の右を行くと本丸が見える。
※ 水場が3ヶ所あった。 この近くにも。 ろう城の時水は命。
二の丸に上がった。
反対側を見たら本丸。
本丸跡。 月山(がっさん)頂上。 奥に神社。
二の丸方向。
戻る時は車道を。 駐車場が見える。 右に御殿。
右写真の家で、左に入った。
石段の左上に本堂。 岩倉寺。
堀尾義晴の墓が、右奥にある。
富田(とだ)城、最後の城主。
ここの城主をしながら、松江城の建築。 1611年完成。
※ 数年前、いつ建ったかなど細かなことが分かって国宝に。 彼はいい仕事をした。
※ 墓は、京都妙心寺の境内にある、春光院にも。 こんな説明が。(2015年に撮影)
白い花は十月桜。
近くに山中鹿介の供養塔。 彼のような家来がいたら、と思ったのかな。
本堂の裏に、娘の小那姫の墓。
※ 16歳のとき難病を罹う。
20歳の時、病気を苦に現在の廿原堤(はたちばらつつみ)神社にあった池に入水。 (2㌔程南西)
「わが身、幸せ薄くしてここに果てるとも、願わくば神となり、この病に悩む世の婦人を救わん」
と椿の枝に願をかけたそう。
その椿は花が落ちることもなく実がつき「二十原の椿」と呼ばれる。
「まんが日本昔ばなし」に。
十月桜があちこちに。
二十原の椿。 ※ 追記 病名を調べてみました。
「こしけ」の病。 婦人病。 女性の方は分かると思います。
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山陰で唯一残った、松江城 小泉八雲旧居 ~松江市~ 明日、大山へ 他 (2011/6/2)
【道の駅】 湯の川。(出雲市)
【明日の予定】 花を見るか魚を見るかどちらか。
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